聖☆おじさん

重松 清の『トワイライト』(文春文庫)を読んだ。

タイムカプセルを開けるために集まった、39歳の小学校の同級生どうしの話。胸躍らせて未来を思い描いていた小学生の自分と現在の自分が会ったとき、「幸せですか?」と当時の先生に手紙で問いかけられた前で彼らが感じたものは懐かしさよりも虚しさが強かったのかも。21世紀の現実にあるのは、リストラ、DV、不倫、病…。この中の登場人物のほっとんどが醒めてるんですよね、39歳までにそれぞれ歩んできた人生の栄枯衰勢を振り返って悟ったかのように、「現実なんて、こんなもんだ」と。
「そんな大人なんてつまんねーだろ」と思ったし、「たしかに、そうなっちゃうのかもね…」とも感じてしまった。いや、つまんな大人を理解し始めちゃってるわけではなく、「そんな人のほうが現実には沢山いるんだろうなー」って。
日々思うけども、俺はつまんない大人にはなりたくはないわけですよ。どん底に落ち込むこともあって、無理に笑っても仕方無いってときがあるのはわかってます。でも、辛くても楽しいって思えるような、どんなことでも自分の身になったって思えるような毎日をできるだけ多く過ごしていきたいと思うわけです。思い続けるわけです。おじさんと呼ばれるようになったとき、「そういえば俺、こんな大人になりたかったんだよなぁ」なんて口走る俺がいたら、ぶっ飛ばしちゃってくださいね。
「でもその現実と向き合って生きていくしかないんだ」って言われたようにも感じた。「生きる」なんてでっかいテーマかもしれないけど、実は一番身近なもの。生きていこうじゃありませんか。


この小説の前に読んだのは、同じ著者の『ナイフ』(新潮文庫)。「いじめ」っていう復讐する機会すら与えられない絶望的なゲームに一方的に参加させられる話。読んでても残酷すぎた(あんな風にいじめられたら死ぬか殺すかのどっちかだなって思った)。そんななかでも登場人物たちが「死」には逃げず、絶望から生を見出して生きている姿が素敵でした。平和な奴が思うことかもしれん、でもやっぱ死ぬのはいかんわ。

重松清。どれも明るいはずのない話だけど、寂しい気持ちになることはなくて、むしろ日々感じてる根っこの部分をつつかれて、逆に開き直って進めるような気がします。褒めすぎか。とにかく最近ちょっと気になる。
学生のとき旅行中に読んで、知り合った旅行者にあげた『半パンデイズ』も重松清の作品だってことを最近知った。ちょっとうれしかった。


もっと本を読んでいこーう。